AIが一人で作ったものに著作権はない。それがアメリカで固まった
では、AIに手伝わせて書いた僕の記事はどうなるのか。
線はまだ引かれていない。
AIが自分で作った絵に著作権を認めてほしい、という裁判があった。
長く続いていたその話に、2026年3月2日で区切りがついた。
最高裁は、取り上げないことを選んだ
アメリカの最高裁が、この件の上告を受理しない判断を出した。
受理しないということは、その下の裁判所の判断がそのまま残るということだ。
残ったのは、著作権法が守るのは人間が作ったものである、という線引きだった。
訴えていたのは研究者で、自分が組んだAIが人の手を借りずに作った画像について、システムの持ち主である自分を作者として認めるよう求めていた。
人が作っていないと自分で認めた上での主張だったので、そこが通らなかった形になる。
これで決まったのは「AIが単独で作ったものは登録できない」というところまでだ。
人がどれだけ関われば人の作品と言えるのか、という肝心の線は、まだ引かれていない。
僕の記事は、どっち側にあるのか
読みながら考えていたのは、自分の手元の話だった。
僕はブログを書くときにAIを使う。
調べ物をさせたり、読みにくい段落を指摘させたり、言い回しの候補を出させたりする。
いまのところ、書き出しも構成も結論も自分で決めている。
だから人の作品だと思っているけれど、これが「言いたいことを箇条書きで渡して、あとは全部書かせる」になったらどうだろう。
境目がどこかにあるはずなのに、自分でも指させない。
この線が曖昧なままなのは、たぶんしばらく続く。
曖昧なあいだは、自分の側でルールを持っておくしかないのだと思う。
僕が自分に課しているのは一つだけ
結論を自分で決める。
それだけを守っている。
調べる作業や言い換えは任せていい。
でも、何を良いと思うか、どこで引き返すべきかの判断は渡さない。
そこを渡した瞬間、たぶん僕が書く意味がなくなる。
権利の話として決着がつく日は来ると思う。
それまでは、法律が決めてくれるのを待つより、自分の中の線を先に決めておくほうが気が楽だ。