家の菜箸を焚き火に持っていって、先を炭にした。道具は長さで選ぶものだった
板場の道具は短く作ってある。手を近づけられるからだ。
焚き火は逆で、近づけないぶん道具のほうが伸びていないといけない。
家の菜箸を焚き火に持っていって、先を炭にしたことがある。
鍋の中の野菜を返そうとしただけだ。
鍋は火の上にあって、僕の手は火の外にある。その距離が、家の台所より三十センチほど長い。
菜箸の長さは変わっていないので、足りないぶんだけ手を前に出す。
そうすると先端が炎の中に入る。
料理の腕が落ちたわけではなかった。
道具と火のあいだの距離が、家と外でまるで違っていただけだった。
板場の道具は、短く作ってある
寿司屋で使っていた道具は、どれも短い。
包丁も、盛り付けに使う箸も、手元で使うことを前提にしている。
短いほうが、指先の力がそのまま先に伝わる。
魚の身を一枚持ち上げるときに、途中でたわむ道具では話にならない。
あの世界では、道具は手の延長だった。
短くて、軽くて、細い。近づけるからそれでいい。
焚き火は反対だ。
熱があるので近づけない。近づけないぶん、道具のほうが伸びていないといけない。
この切り替えができていなかった。
家から持ち出した道具で外の料理をやると、だいたい火傷か、焦がすか、落とすかのどれかになる。
長さは、火の高さで決まる
どのくらい必要かは、焚き火台の高さと、その日の火の大きさで変わる。
家庭用のトングは30cm前後が多い。
これは深めの鍋の中を触るには十分だが、焚き火の上で使うと手の甲が熱い。
薪をくべたあと、炎が上がっているあいだは近寄れない。
焚き火の中の炭や薪を動かす道具は、40cmを超えていたほうがいい。
このくらいあると、立ったまま作業できる。
しゃがまなくていい、というのが思っていたよりずっと大きかった。
しゃがむと、顔が火に近づく。
前髪が焦げたことがあって、あれ以来しゃがむ姿勢そのものを避けるようになった。
道具を長くするのは、手を守るためというより、顔と体を火から離すためだ。
でも、長ければいいわけではなかった
長いトングを一本にしてみた時期がある。
これで炭も動かすし、肉も掴む。荷物が一本減る。
結果はよくなかった。
長い道具は、先の力が伝わりにくい。
同じ握力でも、支点から遠いところを掴むと押さえる力が弱くなる。
肉を掴んで持ち上げた瞬間に、するりと落ちる。
それに、炭を触った先で食材を掴むことになる。
灰がつく。拭いても取れない。
いまは二本に分けている。
炭と薪を動かす長い火ばさみと、食材を掴む短いトング。
板場でも同じことをやっていた。
魚を運ぶ道具と、盛り付ける道具は別だった。
一本で済ませようとすると、必ずどちらかの仕事が雑になる。
熱は、先ではなく持ち手から来る
もうひとつ、外で学んだことがある。
ステンレスは熱が伝わりにくい、と言われている。
鉄やアルミに比べればそのとおりだが、細い棒だと十分に伝わる。
炭の中に先を置いたまま二分ほど話し込んで、握った瞬間に手を離したことがある。
柄が木か樹脂になっているものを選ぶと、この事故が起きない。
見た目は素っ気なくなるが、金属がむき出しの柄は、外では思っているより危ない。
菜箸も同じで、木のものは焦げる。
焦げるだけならまだいいが、先が細くなって折れる。
外に持っていくならステンレスのものを一膳。細かいものを摘まむのに、これがあると助かる。
手袋は革がいい。
化繊のものは火の粉で溶けるし、軍手は穴があく。
溶けた化繊が手にくっつくと、火傷の始末が面倒になる。ここは値段で選ばないほうがいい場所だった。
いま持っていくのは三本と一組
荷物を減らしていって、最後に残ったのがこれだった。
長い火ばさみ。炭と薪専用で、食材には触れない。
短いトング。焼き網の上の肉と野菜はこれ。
ステンレスの菜箸。細かいものと、鍋の中。
それに革の手袋。
包丁は一本でいいと前に書いたとおりで、増やしていない。
まな板も切る順番を変えて一枚のままだ。
減らせたのは切る道具のほうで、火のそばで使う道具は減らせなかった。
距離と熱という条件は、工夫では消えないからだと思う。
キャンプで使う道具はおすすめギアのページにまとめてあるが、この手の道具は正直、長さと柄の材質だけ見て選べば大きく外さない。
ブランドの差より、三十センチと四十五センチの差のほうが、その日の疲れに効く。
菜箸を炭にした日、僕は自分の腕を疑った。
いま思えば、疑うところが違っていた。
距離が変われば、道具も変える。それだけの話だった。