同じ八時間なのに、三件さわった日は何も終わっていない
朝から晩まで手は動いていた。
夜に振り返ると、終わったものが一つもない。
忙しさの正体は、作業ではなく切り替えのほうだった。
朝から晩まで手は動いていた。
それなのに一日の終わりに、今日は何をしたんだったかと思う日がある。
予定表は埋まっていて、休んでもいないのに、終わったものが一つもない。
進んでいなかったのではなく、入り直していた
その日は三件の案件をさわっていた。
午前に一件、昼過ぎに別の一件、夕方にまた違う一件。
どれも急ぎではなかったから、順番に触れば全部少しずつ進むと思っていた。
あとから作業の記録を見ると、それぞれに二時間ほど使っていた。
ただ、その二時間のうち最初の十分か十五分は、毎回おなじことをしている。
前回どこで止まったかを思い出して、ファイルの場所を確かめて、決めごとを読み返す時間だ。
三件を行き来すれば、その十五分が何度も要る。
昼をはさんで戻ってくれば、朝にやった思い出しをもう一度やることになる。
足していくと一時間近くが、作業ではなく助走に消えていた。
予定を時間ではなく、案件で切る
それからは、予定表の切り方を変えてみた。
十時から十二時まで、という切り方をやめて、午前はこの案件、午後はこの案件、という置き方にした。
一日にさわるのは二件まで、と決めている。
やってみると、助走が一日に一回か二回で済むようになった。
同じ八時間なのに、中で本当に使える時間が増える。
急に速くなったわけではなくて、払わなくていいものを払うのをやめただけだった。
ついでに分かったこともある。
一件に半日つながって座っていると、朝には見えていなかった直し方を思いつくことがある。
細切れにしていた頃は、思いつく手前でいつも席を立っていたのだと思う。
連絡は返す。でも、そこで手をつけない
やっかいなのは、枠の外から入ってくる話のほうだった。
別の案件の連絡が来ると、つい画面を開いて中身を確かめてしまう。
開いた時点で、頭はもう向こうへ移っている。
いまは、返事だけその場で返して、手はつけないようにしている。
承知しました、明日の午前に見ます、で足りる用件がほとんどだった。
そのかわり、何をどこから見るのかを一行だけメモに残しておく。
この一行があると、翌日の助走がずいぶん短くなる。
思い出すのではなく、読むだけで済むからだと思う。
自分あてに書いているのに、他人あての引き継ぎのつもりで書くくらいがちょうどいい。
それでも分けられない日はある
締め切りが重なると、二件までという決めごとは守れない。
そういう日は最初から諦めて、進める日ではなく片付ける日にしている。
返事、確認、小さな修正のように、助走のいらないものだけを並べておく。
長いあいだ、年のせいで集中力が落ちたのだと思っていた。
減っていたのは集中力ではなく、ひとつのことに続けて座っていられる時間のほうだった。
打ち合わせを録画に置き換えた話(三十分の打ち合わせをやめて、五分の録画を送った)も、たどっていくと同じところにつながっている。
時間が足りないと感じた日は、まず何件さわったかを数えるようにしている。
たいてい、三つ以上だ。
※運営者が個人で書いているnoteです。