1日目(9月16日)
仕事を終わらせ荷物を車に積み込み深夜12時ころ出発です。
私は基本的には混まない深夜に走りどこかの道の駅で初日車中泊します。
まずは足柄SAにて腹ごしらえ・・・写真撮り忘れました・・・
中略
本日の車中泊予定地は伊豆ゲートウェイ函南
- 住所
- 〒419-0124
静岡県田方郡函南町塚本887-1
- 営業時間
- ・物産販売所 9:00~18:00
・観光案内所 9:00~18:00
(その他ショップは各ショップで
営業時間は異なります。)
・コンビニ 24時間営業
- アクセス
- ■車でお越しの場合
伊豆縦貫自動車道 函南塚本ICから1分
新東名高速道路 長泉沼津ICから17分
■電車・バスでお越しの場合
伊豆箱根鉄道 伊豆仁田駅:伊豆箱根バスで約15分
JR三島駅:東海バスで約30分
ぽつんとマモリくん
伊豆ゲートウェイ函南マスコットキャラクター「マモリくん」
名前 |
マモリくん |
所属 |
田方郡函南町(伊豆ゲートウェイ函南マスコットキャラクター) |
主食 |
伊豆地域で採れる美味しい作物 |
特徴 |
その地域に行って、地元の名産品を食すと、いつも背中の甲羅が、その名物のカタチになる |
ひとこと |
川での泳ぎももちろん得意ですが、陸に上がっても走ったり相撲を取ったり、とてもアクティブで元気な神様です。
たぶんそれは、伊豆の美味しい空気と美味しい作物を毎日摂って、人情の厚い土地柄に住んでいるからに違いありません。
でもちょっとメタボ気味なので、最近は川の堤防や道の駅の周辺をジョギングすることも。
マモリくんは地域、そこに住む人、街を訪れる人を守りたいといつも願っています。 |
車中泊仕様のNBOX
今夜はここで車中泊
愛車のNBOXを車中泊仕様にし今夜はここで晩酌後眠りにつくとします。
車中泊用のベットキットは以下を使用してます
MGR CustomsNボックス / N-BOX Custom JF1/JF2 専用 フルタイプ 車中泊 ベッドキット レザータイプ/クッション材20mm
2日目(9月17日)
鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館概要
- 名称
- 鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館
- 場所
- 伊豆の国市四日町772 韮山時代劇場内
( 伊豆箱根鉄道 韮山駅から徒歩5分 )
- 開館期間
- 令和4年1月15日(土) ~ 令和5年1月15日(日) ≪予定≫
- 開館時間
- 午前9時00分 ~ 午後5時00分
(最終入館は16:30となります)
- 休館日
- 毎月第1水曜日(5月,8月,令和5年1月は無休)
- 駐車場
- 無料大駐車場(乗用車180台、大型バス2台)
- 主催
- 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」伊豆の国市推進協議会
- 入場料
- ■個人
一般 400円
小人(中学生以下) 100円
■団体(20名様以上)
一般 300円
小人(中学生以下) 50円
中の様子はこんな感じ
意外と規模が小さく30分かからず見終えてしまいましたw
1日ここで過ごすことは難しいかもしれませんが、
伊豆へ遊びに行くついでに立ち寄るには良いところだとは思います。。。
時間を持て余したのでせっかくなので韮山反射炉へ
- 名称
- 韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)
- 所在地
- 〒410-2113
静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268-
- アクセス
- 東名高速道路沼津IC、新東名高速道路長泉沼津ICから伊豆縦貫自動車道、伊豆中央道(国道136号バイパス道路)江間ICを経由して約30分
伊豆箱根鉄道駿豆線伊豆長岡駅から徒歩約20分、タクシー約5分
- 概要
- 韮山反射炉は、伊豆の国市中字鳴滝入に現存している反射炉の遺跡。高さ15.6mの連双2基で合計4炉で構成される。
日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみである[5]。また、世界的にも実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては世界で唯一現存する遺構とされている。
1922年(大正11年)3月8日に敷地も含めて国の史跡に指定された]。また、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。
2020年(令和2年)6月9日、伊豆の国市の調査によって、鋳型を出し入れする「シャチ台」と型乾燥小屋の遺構が発見されている。
- 歴史
- 1840年(天保11年)のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官江川英龍は海防政策の一つとして、鉄砲を鋳造するために必要な反射炉の建設を建議した。韮山反射炉は、1853年(嘉永6年)の黒船来航を受けて、江戸幕府直営の反射炉として築造が決定された。
1853年、伊豆下田にて築造開始。翌1854年(安政元年)、下田に入港したアメリカ合衆国のマシュー・ペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が田方郡中村字鳴滝に変更された。そのため建造当時は中村反射炉と称されている。韮山反射炉と称されるようになったのは明治以降である。1855年(安政2年)、江川英龍が死去すると、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857年(安政4年)に完成した。
江川英敏は、韮山反射炉を築造するにあたって、1857年(安政4年)、築造途中だった北炉完成のために、佐賀藩で築地反射炉・多布施反射炉の築造に携わった技師田代孫三郎・杉谷雍助以下11名を招き、技術協力を得た。
1857年から1864年まで、反射炉本体での鋳造が行われる。
1864年に閉鎖されたのち、1868年に幕府直営から江川家私営となる。 以降風化が進むが1908年(明治41年)、韮山村有志が反射炉敷地を買い、陸軍省に献納したことにより、陸軍省所管となった反射炉は再工事され、翌年に落成。 以降、韮山反射炉保勝会が維持・管理を行うこととなった。
- 特徴
- 韮山反射炉は、連双2基4炉を備える反射炉であり、大砲を自力製造したことが特徴である。
反射炉の設計は、ヒュゲェニン(Ulrich Huguenin)著『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法(Het Gietwezen in's Rijks Ijzer - geschutgieterij te Luik)』という蘭書が参考と推測される。
炉体は、外側が伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦(伊豆天城山産出の土で焼かれた)のアーチ積となっている。煙突も耐火煉瓦の組積で、その高さは約15.7メートル。『反射炉御取建日記』によると、築造当時、煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていた。
韮山反射炉では、鋳鉄製と青銅製の大砲を製造した。種々の調査が行われているが、製造内容は確定していない。鋳鉄製18ポンド砲4門を製造、内2門が試打(試射)、銅製は5門以上製造との論文がある。
韮山反射炉に関連する大砲は次のとおり。
18ポンドカノン砲 鋳鉄製。韮山反射炉で鋳造され、反射炉付属の錐台小屋で砲身の内部をくり抜いた。1番から4番まで4門製造された模様。
24ポンドカノン砲 青銅製。1門製造された模様。なお、2015年(平成27年)現在、現地で展示されている24ポンドカノン砲は、銑鉄製で株式会社木村鋳造所が1998年(平成10年)にレプリカとして製造したもの[18]。
80ポンドカノン砲 青銅製。4門製造された模様。
20ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉で製造されたものと言われている。
29ドイム臼砲 青銅製。2015年現在、現地で展示されている。韮山反射炉の築造に先立ち、江川邸で作られた縮小サイズ反射炉で試作されたものと言われている。
なお、ドイム(拇)は、オランダの長さの単位で、2.57393636センチメートルに相当するが、幕末の日本では1ドイム=1センチメートルと定義されている。
鋳物鉄投入口、石炭投入口
出湯口
24ポンドカノン砲
18ポンドカノン砲
その後